11/09 長男の出産を振り返る
長男の出産
2014年4月、長男を出産しました。
在胎40週2日、自然分娩。
体重3252g。
至って普通のお産だったと思います。とはいっても長めだったけど…。
でも、今回の双子妊娠、切迫早産を考えると、なーーーんて順調な妊娠だったんだ!と思います。あの頃はわからなかったけど、奇跡的なことだったんだなぁ。
アクティブな妊婦生活
妊娠中も、初期こそ定時あがりをさせてもらいましたが、安定期に入ってからは残業も多いわ、片道1時間半の通勤だわで、結構過酷に働いていました(^_^;)
朝は5時台に起きて、夜帰ってくるのは22時過ぎるのも普通。最終日、引き継ぎ資料のまとめがなかなか終わらず、上司と吹雪の中タクシーを使って駅まで帰り、そこでやっとお別れの挨拶。
家についたのは日付が変わってから。足跡のない雪の積もった夜道を踏みしめて帰りました…あの日の景色は忘れられない(笑)
まあ、おかげで育児休業給付金がっつりもらえましたがね!
産休に入ってからは、ここぞとばかりの子どものいない専業主婦生活!バケーション!!
でも、なんかしていないと落ち着かない私…
今の時間を有意義に使わねば!!と平日に行われるセミナーに参加してみたり、色々アクティブに過ごしていました。JAの味噌作りとかも行ったな。あんな大きなお腹で味噌捏ねてる人、他にはいなかった(笑)
予定日ちょうどの検診でおしるし
長男の出産は、まるで教科書通り!?のような流れで、おしるし→陣痛→破水→出産の流れでした。
40週0日の予定日ちょうどに検診があり、尿検査に行くとうっすら出血が。
検診では、赤ちゃんもまあまあおりてきてるし、おしるしかもね、でも子宮口開いてないからまだ産まれないよーと言われました。
その日の夜、22時頃から腹部に痛みが。
病院に電話し、もう少し規則的に痛みがあるようだったら受診して下さいと言われて様子見。
0時を回った頃、やっぱり痛い!しかも10分間隔くらいになってる!!とわかり病院に電話して、登録していた陣痛タクシーを使って夫と病院を受診。モニターをしてやはり陣痛だということで、陣痛室で出産を待つことになりました。
陣痛が来てからが長かった
この予定日翌日(病院についた日)、夫は仕事で出張予定だったので、お腹の長男には「この日は産まれちゃだめよ~」なんてずっと言っていました。
きっとこの余計な言葉のせいでなかなか出てこなかったのだと思っています。
陣痛がついたので、夫は会社に連絡して急遽出張をキャンセル。一緒にいてくれました。ありがたかったな。
朝には実母も到着。
私は陣痛室で痛みにひたすら耐える。耐える。耐える。足踏みをして痛みを耐えていました。
助産師さんがたびたび内診をしてくれますが、まだ子宮口開いていません、開いていません…。
痛みはどんどん強くなり間隔も狭くなるけれども子宮口開いてないからいきんじゃダメ!と。
途中から夫にお尻のあたりをぎゅうぎゅう押してもらう。
壁叩くわ助産師さんに「まだなんですか!!」とキレるわ、苦しみました。パラマウントベッド壊すかと思いました。
夫にお尻おさえてもらっている最中に破水。
水風船がはじけた感じでした。夫もそう感じたそう。
破水したからもう産めるんだ…!
そう思ったのに、子宮口開かず、まだいきまないでと。
もう身体は全身の力を使っていきもうとしてるのに!!無理~~!!!って感じでした。
結果、陣痛が始まってから約26時間後、日付が変わった午前1時頃に分娩室へ。
いきみOKが出てからは楽で(やっといきめる、の気持ちの方が強かった)、30分くらいで出産。
立ち会い出産で、ずっと夫の指を掴んでいたのですがやはりすごい力だったそうで、折れるかと思ったそうです(笑)
産まれたら感動して泣いたりするのかな、なんて思っていましたが、私も夫も
「やっと終わった…(疲労困憊)」
って感じで感動もへったくれもありませんでした。
もう二度とこんなのは嫌だと思いました。
色々処置されたあとにカンガルーケアで産まれた長男が胸に。なんか信じられない不思議な感じでした。
疲労困憊の夫と実母が帰り、しばらく長男と二人きり。そのあとは部屋に戻って寝ました。
出産が相次いで大部屋が空いておらず、でもこの部屋なら差額なしでいいですよ、とその後3日くらい陣痛室という個室で過ごしました(笑)
もし次があったら、せめて無痛分娩がいいな。なんて思っていました。
そしたら、予想外の双子妊娠、否応なく帝王切開が決まりました(^_^;)
助産師さんにも、陣痛がついちゃっても、痛みのピークを迎えるまで帝王切開しないってことはないですから、大丈夫、と言われました。
帝王切開は怖いですが、あの陣痛をもう経験しなくていいのは、正直ありがたいです…
今回怖いのは、後陣痛かな~(;´д`)
痛み止めを駆使したいなあ。